Koshien Hotel Japan 1930


甲子園ホテル

 甲子園ホテルは、1930年、関西屈指のリゾートホテルとして兵庫県西宮市の武庫川沿いに開業しました。今現在は武庫川学院大学の校舎として使われています。

 中央に玄関・フロント・メインロビーを置き、左右に大きくメインダイニングとバンケットルームを張り出し、その両翼の上階に、集約された客室群を階段状に配した構成となっています。 日本の伝統美が随所に取り入いれられ壮麗な洋風建築の空間と巧みに調和しています。ライトの日本での弟子遠藤新により設計され、フランク・ロイド・ライトの意匠を継承し、独創的な名建築と言われました。竣工当時は、「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され皇族、閣僚をはじめ、文化人や海外の要人が宿泊。大リーガーのベーブ・ルースらも利用し、舞踏会では作曲家山田耕作がオーケストラを指揮したといわれています。しかし、太平洋戦争の激化で1944年に国に接収され、海軍病院となり戦後は、アメリカ進駐軍の将校宿舎として10年にわたって使われていました。

 

 1965年「由緒ある建物を管理保存したい」と、学校法人「武庫川学院」が国から譲り受け、同学院甲子園会館と名付け、一部改修して教室として利用するようになり現在でも使われまた、見学者も受け入れ市民向けオープンカレッジとしても活用されています。

 甲子園会館(旧甲子園ホテル)は、日本に残る数少ないライト式の建築であり、国の近代化産業遺産および登録有形文化財に登録されています。



Jiyu Gakuen, School of the Free Spirit Tokyo Japan 1921

自由学園明日館

自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。

明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを」という夫妻の要望で自由学園を設計しました。

 

 


 空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの見方もあります。木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を厳密なシンメトリーに配しており、ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた、地を這うような佇まいを特徴としています。プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれるそれは、彼の出身地・ウィスコンシンの大草原から着想を得たもので、都会池袋に開放的な空間を演出しています。道路を隔てた南西には、272人収容できる遠藤新設計の講堂がならび、重要文化財・自由学園明日館は構成されています。

 

1934年(昭和9)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。その後、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、1997年(平成9)5月、国の重要文化財指定を受けました。関東大震災や第二次世界大戦の空襲からも免れた明日館でしたが、80年の歳月のなかで老朽化が顕著になったため、1999年(平成11)3月から2001年(平成13)9月まで保存修理工事が行われ、同年11月に再開業いたしました。


案内図

Hollyhock House 1921

Hollyhock House is Frank Lloyd Wright’s first Los Angeles project. Built between

1919 and 1921,

Flank Lioyd Wright, Hollyhock House California, USA, 1921.

中庭劇場
中庭劇場
中庭池
中庭池

アメリカロサンゼルスの丘にたつハリウッドサインを見上げる小高い丘の上にホリホックハウス(バーンズドール邸)は、建っています。

 

フランク・ロイド・ライトが1917年に設計をしました。完成は1921年。前回ご紹介いたしました旧山邑邸(ヨド鋼迎賓館)の1年前に設計されていています壁面の装飾で同じデザインのものが使われていますが印象は異なります。立葵をモチーフにしたデザインが水平に並んでいます。

立葵のモチーフ
立葵のモチーフ

富豪のアリーン・バーンズドールは、ハリウッドの街を見下ろすオリーブ・ヒルと呼ばれるこの場所に建物を中心とした。幼稚園、芸術家の住まい、スタジオを計画し演劇を中心とした芸術家村(コロニー)を構想していました。

 

建物全体に立葵の花をモチーフにした意匠をほどことたことから後に、立葵の家=ホリホックハウスと呼ばれるようになりました。

 

建物は、コンクリート打放しによる量感のある形態がとられています。建物の中や外には野外劇場もできる中庭空間が配置されています。

 

また、プライバシーと安全確保の面から外には閉じていて中には広がりのある間取りがとられています。

 

ホリホックハウスと旧山邑邸も丘に建つ条件や外壁の色合い、内装、立葵のモチーフなど共通しているところは多くみられますが、やっぱりまったく違う建て物でした。

玄関アプローチ
玄関アプローチ

玄関アプローチは長く天井は低く玄関ドアへと続きます。玄関ドアを開けた瞬間に高い天井と下へ広がるリビングへとつながります。リビングのほうが玄関よりも低い位置に建っているからこその空間構成は、圧迫感を感じさせません、また玄関へ続き、中へ入った瞬間の開放感は劇場ホールを連想させます。

こちらの建物も一般公開されていて見学可能です。今はロサンゼルス市に寄付され周囲には図書館や美術館がたちならんでいます。

所在地

Barnsdall Art Park is located at 4800 Hollywood Boulevard, Los Angeles, California 90027


営業

時間:午前10時~午後5時


 Los Angeles, CA 90027 アメリカ合衆国


Yamamura House Japan 1924 [Yodoko Guest House]

 1924年完成のこちらの建物は今から約90年ほど前(設計は1918年)、アメリカのフランク・ロイド・ライトによって兵庫県芦屋市で設計されました。

当時の日本は大正時代の後半(前年の1923年は東京が関東大震災にみまわれた年です)、また1929年には世界恐慌がはじまり、大きな戦争がはじまっていきます。その5年前、まだまだ外国の文化を旺盛に吸収し日本経済が発展していこうとしていくなかこちらの建物は完成しました。建設は、灘の酒造家八代目山邑太左衛門の別邸として建てられ現在は、ヨド物置で有名な「株式会社淀川製鋼所」 の迎賓館として大切に保存されています。

 

 フランク・ロイド・ライト(1867年-1959年)は、設計を志した人であれば必ず知っている名前であり数ある作品は、その多様性と普遍性から今なおその影響力を世界中の建築家に残しています。当時ライトの設計は、それまであった建築のどの系統にも属さず完全オリジナルでした。その大きな特徴は、「有機的」に建物をとらえ建物の建つ自然の風景に溶け込むように考えるからこそ、その場所地域ごとのオリジナルが完成したと言われています。

 

 そういった視点でこちらの淀鋼迎賓館を見ると山の斜面に張り付くように建ち2階建てに見えていて実は、4層の構造になっているところや水平な屋根が丘の上に自然に溶け込んでいるかのように感じられることがわかります。今は多くの木々に囲まれ外壁の色と緑が陰影を深めますが建築された当時は、廻りの山々に木々は少なく土が見える山に建っていたそうです。それを遠くから見ると外壁の色は風景に溶け込み水平ラインに彫られた彫刻と窓が美しいコントラストを描いたいたことでしょう、山の上に建つ邸宅の風景が目に浮かんできます。

淀鋼迎賓館(旧山邑邸)

〒659-0096 兵庫県芦屋市山手町3-10

 

無料駐車場/乗用車7台 中型バス2台

阪急芦屋川駅から北へ徒歩10分。

JR芦屋駅から北西へ徒歩15分。

http://www.yodoko.co.jp/geihinkan/index.html

 

[開館日]

水・土・日曜日と祝日

年末は12月28日(日)迄開館しております。

新年は  1月7日(水)からの開館となります。

[開館時間]

10時~16時(入館は15時30分迄)

ライトは、1919年着工の旧帝国ホテルの設計を任され日本に来日していた時この建物の設計を行っています。帝国ホテルの設計契約は1916年のことなので共通する素材や意匠も見られますが、まったく違う建物に見えます。日本でライトが設計した建物は12件といわれています。

 

①旧帝国ホテル     東京  1912年

②アメリカ大使館      東京  1914年

③帝国ホテル別館    東京  1916年

④林愛作邸         東京  1917年

⑤小田原ホテル     小田原 1917年

⑥福原有信邸      箱根  1918年

⑦井上匡四郎子爵邸   東京  1918年

⑧三原邸        東京  1918年

⑨映画劇場       東京  1918年

⑩旧山邑邸(ヨド鋼迎賓館)芦屋  1918年

⑪後藤新平男爵邸    東京  1921年

⑫自由学園明日館    東京  1921年

 

この中で現存する建物は、こちらの淀鋼迎賓館と自由学園明日館の2棟のみで世界的にも大変貴重な建物です。(旧帝国ホテルは玄関エントランスの一部が愛知県の明治村に移築されました。)

 

機会がありましたらぜひご覧いただくことをオススメいたします。

写真撮影日2007年5月4日 筆者撮影

United States of America California

 イームズハウスが建てられている街をご紹介します。アメリカ西海岸にあり概ね温暖な気候で、夏は日本と違い乾燥しています。特にカリフォルニア州南部では冬季でも月平均気温が摂氏10度を上回るそうです。カリフォルニア州北部やオレゴン州、ワシントン州ではカリフォルニア州南部に比べて涼しいけれどとても温暖な気候な地域です。夏過ごしやすく、冬暖かな街です。

 

サーフィン、スケートボード、バイク、この街の印象は遊びがとても豊かという事。そして住む人の心も豊かだからこそ、のんびりとした空気に包まれている。住む家もどれも自由な空気を感じることができ、きっと住むこと生活することを愉しむ為に家が建てられているんだろう、どの建物も見ていて楽しく飽きない、町の中を只ぐるぐると見てまわり、ときに怪しまれながらも見て周りその空気に心地よさを感じる。個性的というよりも街全体が同じ空気感をもって建てられみんな違う建物なのに調和を大事にしていることが伝わってくるカルフォルニアの町並み。

 

 日本で静岡でもそういった町並みが少しでも増えるようHACOでできることをこれから考えていきたいと思いました。

 

撮影日2014年9月4日撮影

Midcentury Eames House  1949

誰もその建物が築65年経過していることを思わせないデザインは、今、街の真ん中に建っていてもおかしくないほどに新しい感覚を芽生えさせてくれます。EAMES HOUSE(イームズハウス)は、アメリカカルフォルニアの海を見下ろす丘の上に建っています。1949-1950竣工の建物はチャールズ&レイ・イームズの住居兼スタジオとして建築されました。ここで数々の名作家具がデザインされました。ユーカリの木がカルフォルニアの熱い陽射しを木漏れ日に変え、原色の外壁とガラスを自然と風景になじませています。どうして、こんなにも新しい建物を創造することができたのでしょう、現地に赴き感じたことは、この建物を超える建物はまだ見ていない誰にも真似できないオリジナルだと強く感じる事でした。だからこそ変わらない、イームズによってデザインされた家具は今でも親しまれ愛用されている事の原点を少し見ることができたような気持ちになりました。

撮影日2014年9月4日

Midcentury Eames Chair 1948

デザイナー : チャールズ&レイ・イームズ Eames Molded Plastic Side Chair Wire Base
デザイナー : チャールズ&レイ・イームズ Eames Molded Plastic Side Chair Wire Base

イームズシェルチェアーは、発表された1948年当時のまま60年以上たった今でも、変わる事無くそのデザインは受け継がれています。

 

シェルチェアーは始めニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催したデザイン国際コンペに出展されました。発表された当時これを見て最も賞賛し高く評価した人がいます。フランク・ロイド・ライトに「落水荘」を設計依頼したアメリカのデパート王、エドガー・J・カウフマンです。(落水荘は全米建築協会によりアメリカの最重要建造物として選出されています)現代建築、美術に精通し、デパート事業でも成功していたカウフマンや国際コンペでも高く評価されたことでイームズデザインが世界にひろがっていきました。

 

生産は現代でも続いています。愛好家も多くヴィンテージ物が現存し取引され、年代により素材も変わっています。今現在座面部分は、環境負荷の無いポリプロピレンが使われ、支えの脚部分はスチールが使われています。デザイン的には変わらず座面を貝に模しシェルと呼び、脚の部分はパリのエッフェル塔を模した形からエッフェルベースと呼ばれています。

 

本当の意味での「不朽の名作」その存在感は大きく、日常をコーディネートするアイテムとなりえます。

 

Midcentury Eichler Homes 1949-1974

 Eichler Homes(アイクラーホームズ)は50年代アメリカで最も成功した建売住宅の建設業者です。そのデザインセンスと独自なスタイルがアイクラー現象と呼ばれ築60年以上経過した現在でもEichler Homesの住宅ファンは多く当時はごくごく一般的な建売住宅として売り出されていましたが、今ではそのデザイン性が高く評価されています。

 「ジョーゼフ・アイクラー」はもともと「フランク・ロイド・ライト」の設計した住宅に住んでいました。手の込んだライトの設計を眺めながら、木の壁と梁がむき出しになった天井、その家はすばらしく、建築家の技量が高いのもわかりました。だからこそアイクラーホームズでこういう家を誰にでも購入しやすい一般的な価格で建てる事ができないか、コストとデザインの両立これがアイクラーホームズの目指す住宅の原点となりました。それから1949年から1974年の間に、カリフォルニアで11000棟 熟練した建築家によって設計され、高品質な材料を使用した建物は60年以上経た現在でもまだ「モダン」に見え、大切に住み続けられています。

Midcentury Kaufmann House 1946

 このシンプルで美しい外観の建物は、今から約60年以上前1946年に建築されました。ミッドセンチュリーと呼ばれた時代に建てられ

設計したのは、「リチャード・ジョセフ・ノイトラ」ノイトラは米国の建築家でロサンゼルスを拠点に住宅や学校などを手がけました。

 

 もともとノイトラは、大正時代に日本で旧帝国ホテルを設計したことで有名な「フランク・ロイド・ライト」のタリアセン(建築事務所兼スクール)で働いていました。その後独立しライトの建築とは対象的に白い無装飾な直角のハコとでも表現すべきモダンな近代建築を数多く設計し名声を上げていきます。

 

当時作品はインターナショナルスタイルと呼ばれ、それまでアメリカにあった古典建築(一般的な輸入住宅の形)から完全に脱却した

本物の「近代建築」として認められミッドセンチュリーの始まりを代表する建築家と呼ばれるようになりました。